「ここに来て本当によかったと思われる医療の提供を」
大学病院の医師から「町医者」に
私は福岡県北九州市の出身です。祖父は開業医でした。少年時代、祖父が往診に出かけるときにカバン持ちとして同行することもありました。そして、患者さんの言葉にしっかりと耳を傾け、真摯に治療をする祖父の姿を見ているうちに、私も医者という職業に憧れを抱くようになりました。
九州大学医学部に進み、九大病院(九州大学附属病院)で放射線科医として勤務。当時、九大病院は放射線領域において、日本でも屈指の医療技術を誇り、放射線によるガン治療では最先端に位置づけられていました。その第一線でさまざまなガン患者さんの治療にあたりました。さらに広島原爆病院、順天堂大学、国立病院医療センター(現在の国立国際医療センター)などにも赴き、患者さんの治療とともに、若い医師たちに放射線治療のノウハウを指導しました。
しかし、多忙を極め、いつしか患者さんと向き合う時間が少なくなっていました。「大きな病院は人を見ずに、病気だけを診る」とは、よくいわれる言葉ですが、そのことに私自身、ジレンマを感じていました。
「祖父のような町医者となり、患者さんと対話していきながら病気を治していきたい」という思いから12年間続けてきた大学病院の医師の職を辞し、昭和58年、横浜市鶴見区に古賀クリニックを開業。内科、小児科、放射線科、リハビリ科といった診療科目に加え、地域内の往診(在宅医療)にも努めています。
院長 古賀 一誠
-略歴-